地域/観光

【福島県】『浪江町』は無限の可能性を秘めた環境未来都市。0からの再出発を目の当たりにしてきた。

こんにちは!商店街コンサルタントのみッちゃんです。
GWを利用して、福島県の浪江町へ行ってきました。

今回一番お世話になった「道の駅 なみえ」の紹介はこちらで。

【福島県】『道の駅なみえ』は食べる、買う、楽しむが揃う素敵スポットでした。 道の駅なみえ 我が家の”こんぶ”も喜びの表情 2020年8月に始動した道の駅「なみえ」。買い物、食事、休憩、散歩と何でも出...

浪江町との出逢い

初めて浪江町を訪れたのは、小学4年のGWです。
私が通っていた小学校にはボランティア団体がありました。
そして、そのボランティア団体が実施している福島浪江町田植えツアーに母が応募をしてくれたことがきっかけで5月は田植え、10月には稲刈りと、卒業までの間、浪江ツアーを通して浪江町の大自然に触れることができました。
そして今回、20年ぶりに当時浪江ツアーを企画して私たちを連れて行ってくれていた浪江町出身の恩人と奇跡的に再会することができ、今の浪江町を再度案内してもらえることになったのです。

浪江町の概要

浪江町は、福島県浜通りに位置し、双葉郡に属する町。
震災当時の人口は約21,500人、現在の浪江町内には約1,900人が居住しています。その他の町民は、現在も町外での避難生活を続けています。

明治22年の町村制施行により誕生した浪江村は、明治33年に浪江町となり、昭和28年10月に請戸村・幾世橋村と合併、次いで昭和31年5月1日に大堀村・苅野村・津島村と合併して、現在の浪江町が誕生しました。浪江町は、海、山、川に囲まれ、豊かな自然を誇り、大堀相馬焼やなみえ焼そばといった名産品でも有名です。*浪江町公式HPから引用

東日本大震災での被害

 3月11日に浪江町を襲った地震は震度6強。これにより家屋等の倒壊および損壊被害が発生し、その後、襲来した大津波によって請戸川の河口付近の低地帯に甚大な被害をもたらしました。 この災害による浪江町の人的被害は、直接死182人、このうち行方不明者が31人、圧迫死が1人となっています。津波による溺死は150人と、死因のほとんどが津波によるものです。

(資料/2020[令和2]年12月7日:福島県災害対策本部)


揺れや津波による被害に加えて、震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受け、同月15日以降、仮役場が同県内の二本松市に設置され、多くの住民が移動・避難を余儀なくされました。
未だに故郷に帰ることが出来ない方が大勢いるのが現状です。

原発問題との向き合い方

東日本大震災・原子力災害伝承館

浪江町隣の”双葉町”には伝承館(東日本大震災・原子力災害伝承館)があります。
世界初とも言われる複合災害、特に原子力災害と、そこからの復興過程を記録する為に作られたのが、この伝承館です。
被害に遭った方々の復興への想い、そしてこの災害を決して風化させず、後世まで継承させること、世界への共有の想いを込めて作られています。

なんて説明をすると、重々しいイメージになってしまいそうですが、伝承館自体は近未来でワクワクするような外観です。館内も、プロジェクションマッピングを使用した映像が見られたりと、現代技術を取り入れて作られています。


フロアは大きく分けて3つ、「災害の始まり」「原子力発電所事故直後の対応」「復興への挑戦」となっています。
恥ずかしながら、私自身、ここに来るまでは原発事故がどういった背景で起き、その後どんな問題が浮き彫りになり、その後どんな政策が行われているのか、しっかりと理解できてはいませんでした。

しかし、伝承館では映像や模型を効果的に使用することで、とても分かりやすく学ぶことができました。

開館時間午前9時から午後5時(午後4時30分最終入館)
休館日毎週火曜日
※火曜日が祝日または振替休日の場合は開館し、翌平日を休館日とします。
12月29日~1月3日
展示入館料●大人:600円 
●小中高:300円 
●未就学児:無料 
●大人団体(20名以上):480円 
●小中高団体(20名以上):240円
研修室利用最大90名収容
※要事前相談
所在地〒979-1401 福島県双葉郡双葉町大字中野字高田39
交通案内●電車 
東京駅から最寄りの双葉駅まで特急ひたち利用で約3時間10分
仙台駅から最寄りの双葉駅まで特急ひたち利用で約1時間20分
※双葉駅から約2km、徒歩で約25分。双葉駅発のシャトルバスが利用できます(約5分)。
●自動車
普通自動車111台、大型バス10台を収容する無料駐車場あり。

常磐自動車道常磐双葉ICから車で約12分(約7.5km)
時間の目安
【高速・有料道路利用の場合】
・仙台市内から約1時間30分
・いわき市内から約1時間
・福島市内から約1時間40分
【一般道利用の場合】
・郡山市内から約1時間50分
●飛行機
福島空港から車であぶくま高原道路を利用して約1時間40分
仙台空港から常磐自動車道経由で約1時間20分

福島原子力発電所が抱える4つの課題

福島原子力発電所が現在抱えている大きな課題が”廃炉”です。
廃炉とは、原子力発電所(原発)で使われている原子炉の運転を終了させ、原発を廃止して解体すること。

廃炉を完了するためには以下の4つの課題があります。

「燃料取り出し」、「燃料デブリ取り出し」「汚染水対策」「原子炉施設の解体等」
*廃炉の完了までは、30〜40年かかる見通し

この中でも最近よくニュースで目にしているのが、「汚染水対策」ではないでしょうか。
長い間進められていた処理水放出設備の工事が完了したことが発表されました。

汚染水:原発事故により発生している高濃度の放射線物質を含んだ水のこと。
処理水:「汚染水」を、複数の設備で放射性物質の濃度を低減する浄化処理を行い、リスク低減を行った上で、敷地内のタンクに保管している水のこと。

今、福島第一原発のタンクには大量の処理水が溜まり続けていて、その量は、令和5年6月15日時点で容量の98%にあたるおよそ134万トンに達しています。
この処理水の放出が、今問題となっているのです。

今回その処理水を放出する為の設備が完成したということです。
とはいっても、じゃあ放出して問題解決だ!とはならず、
処理水を安全に放出する為のテストや、韓国や地元の漁業組合との話し合いといった課題が残っています。

より多くの方々に理解、納得してもらう為に原発関係者の皆さんは、日々奮励されているのです。
実際、国の規定基準まで薄められたALPS処理水で海洋生物を飼育し、細かいデータを採ることで生物への影響がないことなどを目に見える形で証明するなど、様々な取り組みを行なっています。

震災遺構 浪江町請戸小学校

浪江町に来たら訪れてほしいのが、請戸小学校です。
地震・大津波の甚大な被害を受けた請戸小学校は、震災遺構として整備・保存され、後世へ伝承されていくための施設として残されています。

原発建設時は、万全の体制を謳っていました。当時の原発への期待感が見て分かります。
震災前の請戸地区を細かく再現しています。
私も小学生の頃、この海で遊び、この中の田んぼで田植えや稲刈りをし、とにかく遊び尽くした楽しかった思い出が詰まった場所です。実際には何も無くなってしまい違う景色しか見れないけども、このパノラマが懐かしい想いを呼び戻してくれたような気がしました。
開館時間午前9時30分〜午後4時30分(最終受付は午後4時)
休館日毎週火曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館
年末年始(12月28日~1月4日)
入館料一般 300円(団体: 250円)
高校生 200円(団体: 150円)
小・中学生 200円(団体: 150円)
未就学児 無料
アクセス〒979-1522
福島県双葉郡浪江町大字請戸字持平56
駐車場敷地内に駐車場有り
駐車可能台数:普通車20台/大型バス5台/身障者用2台

いこいの村なみえ

私が今回宿泊したのが、”いこいの村なみえ”のコテージです。
一番広いお部屋のみ犬宿泊OKとのことで、こちらにさせていただきました。
無垢板の壁と床で造られたコテージは、心地よくて、愛犬こんぶも大喜びでした。

おすすめできるのは、お部屋だけではありませんよ!
美味しいご飯、日本酒『寿』、そして、大浴場には、セルフロウリュ付きのサウナまで完備で、心身ともに満たされてしまいました。

私の好きなサンドウィッチマンさんのサイン。燃えよ、東北魂!!

なみえ、ゼロからの再出発。

これからの浪江町は、というと、まだまだ課題は山積みである中で、着実に新たなまちづくりが進んでいます。

浪江駅前に事務所があります、”一般社団法人まちづくりなみえ”にて社員の方々から現在の浪江町についてたくさんのお話を聞かせてもらいました。
一人でも多く、浪江町に住みたい!と思ってくれる人が増えるように、そして、また浪江町に戻ってきたい!そう思ってもらえる町になるように、様々なプロジェクトが進んでいます。

その中でも一番大きなプロジェクトが、浪江駅前再開発プロジェクトです。
世界的建築家の隈研吾氏と、アート・プロデューサーである伊東順二氏のタッグで浪江駅前の開発計画が進んでいます。
特に私が惹かれたポイントが、”木材と再生可能エネルギーのを活かした環境モデル”です。
建物の外装・内装の両方に木材を使用することで、環境負荷への低減に貢献しつつ、屋根や壁面には太陽光パネルが採用されています。
更に、浪江町が今世界的に注目されている『水素』も活躍予定です。

最後に

長くなってしまいましたが、今回の浪江ツアーを通して、本気で浪江町の今後について向き合ってみたいと思うことができました。
子供時代、貴重な体験をさせてくれた浪江町。
姿は変わってしまったかもしれないけど、新たな姿で今も前を向いて挑戦をしていました。
私は実際に浪江町に行くまで、福島原発の問題も、災害後の街の様子も部分的にしか理解できていませんでした。そして、今、どうなっているのか、考える時間すら、少なくなっていました。

今回、伝承館や請戸小学校、そして浪江町に住む方のお話を通して、たくさんのことを知ることができ、原発問題について、これからの浪江町ついて、自分の頭で考えるきっかけをもらいました。

海があり、山があり、川がある 浪江町は現代を生きる若者に足りない何かが全て詰まった魔法のような場所なのかもしれません。
私はそんな街の力に少しでもなれるように、もっと沢山の勉強をし、向き合っていきたいと思います。
そして、この記事を通して、一人でも多くの人が、私と同じように自分の頭で考えてみるきっかけになってくれたら嬉しいです。

何もできなくてもいい、考え、理解し、本気で向き合うことが何よりも大事だと、私は思っています。

株式会社ALO 光田祐貴